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M・S君からの手紙 [ミッドナイト東海]

昔の深夜放送「ミッドナイト東海」(東海ラジオ AM0:15~3:00)のお話です。

第一幕

昭和50年(1975年)12月、松原敬生はM・Sと名乗る一人の若者からの手紙を紹介しました。
あいにく、その時のテープは残っていないので正確には記す事ができませんが、彼の両親は離婚していて、後に父親の再婚話に反発し、その父親への恨みをつづった内容だったと思います。
実母はその後病気で亡くなり、M・S君はとうとう家出をします。
そして一旦は家へ戻るのですが・・・。

第二幕

そんな彼の手紙は、リスナーからの大反響を呼び、多くの励ましのお便りが番組に届きます。
そして再びM・S君からの手紙が紹介されました。
「最期の旅にでます。礼文島に行きます・・・・・」
自殺をほのめかす内容に、松原は放送でM・S君に呼びかける。
「電話を待ってるから。一度電話をください・・・」と。

励ましのお便りの中から一通紹介する松原。
そのリスナーも同じように親を恨み、家を飛び出した一人でした。
生活が貧しく、毎朝夜明け前から漁に連れて行かれ、漁が終わると学校に走る毎日。
こっそり盗み見た貯金通帳から、自分の家にはもうお金が無いことを知って10円のお金すら
欲しいと言えなかった・・・。
そんな生活に耐え切れず、とうとう置手紙をして家出をしたのです。
10年間、親との断絶後、彼は家に戻り、そしてその間両親が自分以上に苦しんでいたことを
思い知るのです。
そんなお便りを松原は涙ぐみながら読みました。

そこへM・S君から電話が入ります。
礼文島ではなく長崎にいるという彼。かすかに放送が聞こえているという。
「とにかく一度戻ってらっしゃい」という松原にM・S君はあっけないほど素直に
「わかりました」と答えました。
クリスマスイブのイブ、この日の放送を本当に喜んだ松原は、番組の最後にいずみたくシンガースの「帰らざる日のために」をかけました。

第三幕

翌週の12月30日、M・S君からの手紙。
「先週の放送を聞いて、はじめて自分の手紙が読まれていることを知りました。
みんな、ありがとう。しかし、俺をマンガの主人公にしてしまったヤツは許せない!
いつ俺が長崎に行ったんだ」と。
あのM・S君からの電話がいたずら電話であったことに松原は憤慨し、そして肩をおとす。

第四幕

昭和51年2月、M・S君からの「挑戦状」が届く。(以下そのほんの一部)

 あなたの番組に登場する悩める若者たちや、私は不幸でございます、という看板を
 背負った人たちはいったいどういうつもりで投書するのですか。
 自分たちの不幸な境遇を、あるいは運命にもてあそばれた自分をさらけ出し、何を
 期待するのですか。安っぽい同情や空しい励ましを求めているのか、世の中には
 自分のほかにも、こんなに不幸な人たちが存在することを確認し、自らを慰めているのですか。

 そして松原さんはこういう人たちの投書をどういうつもりで取り上げているのですか。
 ご自分が適切なアドバイスをし、あるいは励まし解決の一助とならんとしているのですか。
 それとも自分の放送の特異性を持たせるためですか。
 私は松原さんの放送にずっと以前から反発し続けてきました。
 
 M・S君は私のいくつかの事実をもとにでっち上げた人物です。
 このストーリーは完全なフィクションです。

 私はいままでどれだけ人から裏切られ、踏みつけられ、傷つけられてきたか、
 あなたには理解できないでしょう。
 私はいかなる人も信じないし、また頼らない。
 あなたがなんと思われようとも、自分の信念に従って生きている。
 あなたが夢想する「ふれあい」とは融合し得ない。
 M・S君を登場させたのも、あなたの放送への挑戦、レジスタンスです。
 あなたの番組のいい加減さ、意味の無さを私自身が確認するためです。
 そして、あなたの番組を平気で踏みにじるような人たちが、ほかにもたくさん聞いている、
 またあのような最低のいたずらがなされうることを、あなたに再認識していただこうと
 思ったのです。
 つまりあなたが求める「ふれあい」はここに帰結してしまうのです。

 それでもなおあなたが虚像にしがみついていくようなら、さらにあなたに挑戦する。
 そしてあなたの番組の偽善者の仮面を引っ剥がし、「ふれあい」を決定的にぶち
 壊してやる・・・。

挑戦状の全文を10数分間かけて読んだ松原。
中には、このM・S君とまったく同じ話を「サワムラ マ○○」なる仮名で、野沢、白石、
両氏の「パック・イン・ミュージック」に投書し、昭和50年6月に取り上げられたことも
告白しています。

松原は「M・S君は番組を振り回してやったんだというが、わたしは振り回されたという
実感が無い。たくさんの意見や励ましに、真剣に聞いている人が多いと確信を持った」
と反論する・・・。

残念ながら、ワタクシの手元にあるテープはここで切れてます。
いやはや、いろんな人が聞いているもんだ・・・と当時は驚いて寝ました。


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コメント 6

gop

全然覚えてませんが、30年前の深夜放送が今はネットに取って代わって、より一般的になったって事でしょうか。いつの世も同じですな。

話は変り、
先日NHK鶴瓶さんの番組で彼が「ミッドナイト東海」の話をしてました。
ゲストは戸田恵子さんで、彼女、彼のミッドナイト東海が初出演だったらしいのですが、本当にパンツ被ってやってたそうです(笑)
by gop (2006-03-27 06:44) 

kanican

>gop さん
他の人の時はせいぜい1時までしか聞いてませんでしたが、松原さんだけは遅くまで聞いてました。M・S君の話題はいつも2時過ぎでした。
鶴瓶さんの放送でゲストが来たという記憶はなかったですが、残ってるテープを今聞いても、テンション高くて、結構面白いです。
by kanican (2006-03-28 22:01) 

gop

戸田恵子さん、名古屋出身なんですね。当時は「あゆ朱美」と言う芸名で「歌手」でした(何となく覚えてる...)旦那は井上順一だってご存知でした?
しかしKanicanさんも物持ち良いですね(^^
by gop (2006-03-29 05:34) 

kanican

井上純一ってジャニーズのアイドルでしたよね。
夫婦とは知りませんでした。「あゆ朱美」っていうのも全然。
by kanican (2006-03-29 22:08) 

ハージェスト

私はミッドナイト世代ですが、このような話は初めて伺いました。
いつの世にも「やらせ美談」や「いたずら自殺予告」など、
ナマならではの深夜放送に傷を付けようとする人はいるものです。
何はともあれ、結果として直接の犠牲者は出なかった事を幸いとし、
松原さんや東海ラジオのスタッフの皆さんのご苦労には
本当に頭が下がる想いです。
素晴らしいお仕事だと、あらためて感じます。

でもこの「事件」でいい経験をしたのは
真剣にラジオ放送に向かい合った人たちですね。
私は今だに「ふれあい」を夢想し、実践している者です。
by ハージェスト (2007-11-20 05:32) 

kanican

ハージェスト さん
>私はミッドナイト世代ですが、
あ、そうだったんですか!

このM・S君事件は、本当にショッキングな事件でして、
M・S君を名乗る人物から電話がかかってきた時なんかは
「新聞に載っているんじゃないか?」と隅々まで記事を探した記憶があります。(^^;
結局、それもいたずら電話で、いまテープを聞き返すと、励ましの手紙すら
作り話じゃないか?と思えてきたりします。

>私は今だに「ふれあい」を夢想し、実践している者です。
そう言っていただけると、こういうブログをやっている方としましても
とてもうれしく思いますし、励みになります。
by kanican (2007-11-20 23:31) 

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