左からレオ(森本レオさん)、アマチン(天野鎮雄さん)、リコタン(岡本典子さん)。
「リコタン 星飛ぶ」から。

 昔('68年~'83年)、東海ラジオで放送されていた深夜放送「ミッドナイト東海」。
その番組が2005年10月から再び「ミッドナイト東海21」としてスタートしました。
ただし、放送は金曜日の夜(0時~2時)のみ。

学生時代にはあれほど一生懸命に聞いていた番組でしたが、
「ミッドナイト東海が復活する」というニュースを新聞で読んだ時は、
何故かそれほど「聞きたい!」とは思いませんでした。
パーソナリティはアマチンこと天野鎮雄さん('68~'72担当)と松原敬生さん('74~'76担当)の
お二人が一週交代で放送するというものでした。

しかし学生時代に聞いていた頃から早30年の年月が流れ、ワタクシにとってアマチンといえば
森本曜子さんと午前中に放送していた「アマチンのラジオにおまかせ」というイメージでしたし、
松原敬生さんも「ミッドナイト・・」の松原さんではなく「ぶっつけワイド」の松原さんというイメージ
の人でしかなかったのです。

社会人となった現在は、とても深夜の時間帯にラジオを聞いていられるような
状態でないこともありますし、なんたって部屋にラジオがありません。
「ミッドナイト東海21」のことは、新聞の記事以来すっかり忘れてました。

ところが先日、たまたま夕刊のラジオ欄で「ミッドナイト東海21」の文字が目に止まりました。
その日は金曜日の夜だったのです。
懐かしのあの曲・・・という番組欄の文字に惹かれ、聞いてみようかな?と思いました。

最近になって、それまでは子供の手が届かないタンスの上にあったミニコンポを
妻が子供にも使えるようにと、ワタクシの部屋に持ってきたのであります。

「聞いてみようかな?」と思っていても、大抵忘れて寝てしまうのですが、
その日は違いました。寝ようと思ったのが偶然にも0時。
時計を見て思い出し、あわててラジオをつけました。

そこから聞こえてきたのはなぁ~んと「ミッドナイト東海」初代のテーマ音楽、
ビリーボーン楽団の「恋の手管(てくだ)」だったのです!!
まさか昔のテーマ音楽をそのまま使ってるとは知りませんでした。
超懐かしい!!
興奮しながらも、急いでMDに録音しながらふとんに入りました。

最初は35年前に届いたはがきのリクエストに答えるコーナー。(当時のはがきがとってあったのかな?)
「深夜のタイムカプセル」は過去の出来事を振り返りながら、当時の流行歌を紹介するコーナー。
「東海の車窓から」は東海地方の市町村の一つを紹介し、地元の担当者と電話で話すコーナー。
「アマチンの名作劇場」ではさすが俳優さんだけあって、味のある朗読が素敵です。
「青春リクエスト」ではリスナーからのリクエストで思いがけない珍しい曲がかかります。

アマチンさんの放送を聞いていると、「ラジオにおまかせ」のアマチンさんではなく、
昔の「ミッドナイト東海」のアマチンさんだ、と思いました。
ワタクシが昔「ミッドナイト東海」を聞いていたのはだいたい'72年~'77年の間でした。
アマチンさんやリコタン、森本レオさんなどの初代パーソナリティから、フォークシンガーの
山平和彦さん(故人)、岐阜公園にある名和昆虫博物館館長の名和秀雄さん(故人)、
東海ラジオアナウンサー松原敬生さん(当時は敬夫さん)などの第二期のメンバーに代わった
ところでしたから、アマチンさんの放送はほんの数回しか聞いてません。
どんな内容だったのか、どんなはなし方だったのかも記憶に無いのですが、
それでも「ラジオにおまかせ」ではなく「ミッドナイト東海」のアマチンさんだと思ったのです。

アマチンさんのボキャブラリーに感心しながら、熱血漢なところに共感し、
その話術に魅了されてしまいます。
懐かしい曲と共に聞いてると、自分も多感な中学生に戻ったような気がします。

 「あぁ、ラジオって楽しいなぁ~」って久々に思いました。

  起きてる、生きてる、まだしゃべってる、 アマチンのミッドナイト東海21! 

         http://www.tokairadio.co.jp/program/mid21/

一方の松原さんの放送は、すでに昨年終了したようで、一度ぐらいは聞いておくべきだった・・・
と悔やんでいます。






我が家からクルマで20分ほどの距離にある、愛知県知多市の新舞子(しんまいこ)にて。
アマチンさんは昔、この新舞子に住んでいました。
橋の向こうは「新舞子マリンパーク」